hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その69」について

 

ありがとうございます。


***
・・・
つまり、22章18節の「あなたの子孫」の場合は「キリストを指している」と思われるが、26章3節の「あなたの子孫」の場合は「キリストを指している」とは言えないのではないか、ということではありませんか。

いかがでしょうか。
***
というわたしの質問に対して、


***

********* わたしの回答 **********

創世記には、“あなたの子孫”という言葉はたくさん出てきます。ガラテヤ3:16の“あなたの子孫”という言葉は、創世記のたくさんの“あなたの子孫”という言葉のうちどの言葉のことを言っているかという問題です。

 

ガラテヤ3:16の“あなたの子孫”という言葉が
>26章3節の「あなたの子孫」
のことであるという根拠はどこにあるか?ということです。

創世記26:3のあなたの子孫という言葉は、前々から私が述べているように、聖書の言葉には2重の意味を持つことがあるという観点から言えば、キリストもさしているということでよいかもしれません。
***
とあります。

 

ガラテヤ人への手紙3章16節では、「アブラハムとそのひとりの子孫」について述べられています。

 

これに対して、創世記26章3節は、「イサク」と「イサクの子孫」について述べられています。

 

『ガラテヤ3:16の“あなたの子孫”という言葉が
>26章3節の「あなたの子孫」
のことであるという根拠はどこにあるか?』

と、疑問に思われているのは、26章3節の「あなたの子孫」が「アブラハムの子孫」のことではないから、ということでしょうか。

 

つまり、創世記26章3節では、「イサク」と「イサクの子孫」について述べられているのであって、「アブラハム」と「アブラハムの子孫」について述べられているのではないので、『ガラテヤ3:16の“あなたの子孫”という言葉が、26章3節の「あなたの子孫」のことであるという根拠はどこにあるか?』という疑問が生じる、ということでしょうか。

 

hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その71」について

 

ありがとうございます。

 

***
******* わたしの回答 3・28 ********

もし、“約束は果たされていない”とすると、祝福(3:8 ,9 ,14参照)が約束によって与えられるということの根拠にはなりません。・・・
***
とあります。

 

「・・・祝福・・・が約束によって与えられる・・・」とあるのですが、これは、どのように理解したらよろしいでしょうか。

 

祝福が約束によってアブラハムに与えられる、ということでしょうか。

hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その70」について

 

ありがとうございます。

 

***
********* わたしの回答 3・25*****

回復訳聖書では、
“その嗣業をアブラハムに・・・・・与えられた”とあります。
新改訳聖書では、
アブラハムに相続の恵みをくださった”とあります。
いずれも嗣業あるいは相続が与えられた(実現された)ということです。
また、約束が実現されたということでないと
律法によらずに、約束によるということの根拠(理由)になりません。
まだ実現されていない約束を例として挙げたのでは、ここで論じられている約束による(律法によらない)ということの根拠にならないということです。
***
とあり、中ほどから、「また、約束が実現されたということでないと律法によらずに、約束によるということの根拠(理由)になりません。」とあります。

 

「律法によらずに、約束による」、というのはどういうことでしょうか。わたしの考えを述べます。

 

ローマ人への手紙4章14節に、次のように書かれています。
***
4章14節
もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。
***

 

「もし律法による者が相続人であるとするなら、・・・約束は無効になってしまいます。」とあります。どういうことでしょうか。

 

「もし律法による者が相続人であるとするなら」、アブラハムは相続人ではない、ということになります。なぜなら、アブラハムは「律法による者」ではないからです。したがって、「もし律法による者が相続人であるとするなら」、アブラハムに対してなされた、相続に関する「約束は無効になってしまいます」、ということになると思います。アブラハムは「律法による者」ではないからです。

 

例えば、約束が、「与える」という約束だったとします。14節に書かれていることは、例えば、アブラハムに対してなされた「与える」という約束は、律法ができたからと言って、「無効になってしま」う、ということはない、ということではないでしょうか。

 

言い換えると、「与える」という約束は、律法ができてからも「有効である」、ということになると思います。

 

約束は、果たされるとどうなるでしょうか。「消滅」するのではないでしょうか。あるいは、意味の無いものになってしまうのではないでしょうか。

 

例えば、AさんがBさんに、Bさんの誕生日にケーキをプレゼントします、と約束したとします。Bさんの誕生日の日になって、Aさんがケーキをプレゼントしたら、その時点で「約束」は果たされます。

 

そうすると、「Bさんの誕生日にケーキをプレゼントします」という約束は無くなってしまう、つまり、「消滅」するのではないでしょうか。

 

「約束が実現された」なら、その約束は「消滅」すると思います。あるいは、意味の無いものになってしまいます。

 

アブラハムに対してなされた「与える」という約束は、律法ができてからも「無効になって」はいない、つまり、まだ約束の効力は続いており、約束は果たされていない、と言うことができると思いますが、いかがでしょうか。

hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その67」について

 

hhhhhh210さんのご質問にお答えします。
***

****** わたしの質問 下記について*******

430-85=345です。イスラエル人がエジプトで「奴隷とされ、・・・苦しめられ」るのは、345年よりもさらに短くなります。

***************************

出エジプト 12:40 はどのように考えますか?
***

 

leafy888's diaryに、「四百三十年」について、という記事を投稿しました。hhhhhh210さんのご質問に対する回答になっているのではないか、と思います。URLはこちらです。

https://leafy888.hatenablog.com/

hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その68」について

 

ありがとうございます。

 

***
・・・
「・・・世界の相続人となるという約束が、アブラハムに・・・与えられた・・・」ということは、アブラハムが世界を相続する人となるということが、アブラハムに約束された、ということだと思います。

この点について、認識が同じかどうか、確認したいと思います。この点について、認識は同じでしょうか。
***
というわたしの質問に対して、
***
********* わたしの回答 **********

アブラハムが世界を相続する人となるということが、アブラハムに約束されたということでよいと思います。

ただし、ガラテヤ3:18の場合は、すでに実現された事柄です。アブラハムが世界の相続人となるのは将来のことです。
***
とあります。

 

「ただし、ガラテヤ3:18の場合は、すでに実現された事柄です。」とあります。これは、何をもって、「すでに実現された事柄です」、と判断されたのでしょうか。

hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その66」について その2

 

***

******* わたしの回答 下記について******
18節では、「相続」について述べられています。
***************************

18節が土地の相続のことであるとすると、アブラハムにカナンの地が与えられたことになるのではありませんか?

***************************
***
とあります。

 

ガラテヤ人への手紙3章18節は、次のようになっています。
***
3章18節
なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハム相続の恵みを下さったのです。
***

 

ここでは「相続」が、何の相続であるのかについては触れられていません。18節の前後を読んでも、何の相続であるのかは分かりません。

 

ただ、考えられることとして、ローマ人への手紙4章13節に書かれていることが挙げられると思います。次のようになっています。
***
4章13節
というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
***

 

1行目に、「・・・世界の相続人となるという約束・・・」とあります。これは、「・・・世界を相続する人となるという約束・・・」と読むことができると思います。違うと思われる場合は、おっしゃってください。

 

「・・・世界の相続人となるという約束が、アブラハムに・・・与えられた・・・」ということは、アブラハムが世界を相続する人となるということが、アブラハムに約束された、ということだと思います。

 

この点について、認識が同じかどうか、確認したいと思います。この点について、認識は同じでしょうか。

hhhhhh210さんへ

「LEさんへ その66」について その1

 

ありがとうございます。

 

***

****** わたしの回答  下記について******
ガラテヤ人への手紙3章は、「祝福」についてだけではなく、「相続の約束」についても述べられていますから、創世記26章3節の「子孫」を「祝福に関する」ものに限定することはできないと思います。
***************************

創世記26:3 の子孫は祝福についてではなく、国々(あるいは地)についてです。
わたしは、“創世記26章3節の「子孫」を「祝福に関する」もの”とは述べていません。
***
とあります。

 

「LEさんへ その65 」(2020-03-16)で、hhhhhh210さんは、
***
・・・
ガラテヤ3章を読んでみると、アブラハムへの祝福のことが述べられているので、祝福に関することが述べられている場合の“あなたの子孫”(あるいはアブラハムの子孫)はキリストを指している、そういうことではないだろうか?と思います(22:18参照)。
従って、26:3は祝福に関することではない(あなたの子孫という言葉が出てくるのは、これらの国々を与える、ということにおいてである)ので、疑問に思います。
***
とおっしゃっていました。

 

「・・・26:3は祝福に関することではない(あなたの子孫という言葉が出てくるのは、これらの国々を与える、ということにおいてである)ので、疑問に思います。」とあるのですが、疑問に思われるのは、「ガラテヤ3章を読んでみると、アブラハムへの祝福のことが述べられているので」、ということではないのでしょうか。

 

「ガラテヤ3章を読んでみると、アブラハムへの祝福のことが述べられているので、祝福に関することが述べられている場合の“あなたの子孫”(あるいはアブラハムの子孫)はキリストを指している、そういうことではないだろうか?と思います(22:18参照)。」とあります。

 

新改訳聖書』第3版の創世記22章18節は、次のようになっています。
***
22章18節
あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
***

 

この18節では、「祝福」に関することが述べられています。この場合の“あなたの子孫”(1行目)はキリストを指しているのではないか、ということをおっしゃっているのだと思います。違う場合はおっしゃってください。

 

しかし、26章3節で「あなたの子孫」という言葉が出てくるのは、「これらの国々を与える、ということにおいてである」ので、つまり、「祝福」に関することではないので、26章3節の「あなたの子孫」が「キリストを指している」ということには疑問がある、ということではないのでしょうか。

 

つまり、22章18節の「あなたの子孫」の場合は「キリストを指している」と思われるが、26章3節の「あなたの子孫」の場合は「キリストを指している」とは言えないのではないか、ということではありませんか。

 

いかがでしょうか。