エレミヤ書21章について その3

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書21章7節に、次のように書かれています。
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21章7節
そのあとで、―の御(み)告げ―わたしはユダの王ゼデキヤと、その家来と、その民と、この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たちとを、バビロンの王ネブカデレザルの手、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。彼は彼らを剣の刃で打ち、彼らを惜しまず、容赦せず、あわれまない。』」
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1行目から、「・・・わたしはユダの王ゼデキヤと、その家来と、その民と、この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たちとを、バビロンの王ネブカデレザルの手、敵の手、いのちをねらう者たちの手に渡す。・・・」とあります。

 

「わたし」が「バビロンの王ネブカデレザルの手・・・に渡す」のは、「ユダの王ゼデキヤと、その家来と、その民と、この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たち」です。この点については、何も問題は無いと思います。

 

次に、4行目から、「・・・彼は彼らを剣の刃で打ち、彼らを惜しまず、容赦せず、あわれまない。」とあります。

 

わたしは以前、エレミヤ書21章について その1(2019-11-11)で、この中の「彼ら」が指しているものは何か、ということについて質問をし、「その2」(2019-11-13)で、「彼ら」が指しているものについて、少し、述べました。

 

その際、エレミヤ書34章4節(その2)の記述より、「彼ら」の中に、『「ユダの王ゼデキヤ」を含めるのは、適切ではない、と思います。』と述べました。

 

エレミヤ書34章4節の「・・・あなた(すなわち、ユダの王ゼデキヤ)は剣で死ぬことはない。」という記述より、ユダの王ゼデキヤは「剣の刃で打」(21章7節)たれることはない、と考えられます。

 

ユダの王ゼデキヤが「剣の刃で打」たれることはないとすると、ユダの王ゼデキヤは、「彼ら」(21章7節)の中には含まれない、ということになります。

 

ユダの王ゼデキヤは21章7節の「彼ら」の中には含まれない、と考えられるのですが、「・・・この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たち・・・」(21章7節)についてはどうでしょうか。

 

21章9節に、次のように書かれています。
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21章9節
この町にとどまる者は、剣とききんと疫病で死ぬが、出て、あなたがたを囲んでいるカルデヤ人にくだる者は、生きて、そのいのちは彼の分捕り物となる。
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1行目に、「この町にとどまる者・・・」とあります。これは、「この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たち」(21章7節)のことでしょうか。

 

仮に、「この町にとどまる者」が「この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たち」だとすると、「この町にとどまる者は、剣とききんと疫病で死ぬ」(21章9節)とあるので、「この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たち」は、疫病や剣やききんからのがれたのに、「剣とききんと疫病で死ぬ」(21章9節)、ということになります。

 

「この町にとどまる者」については、21章4節の、バビロンの王とカルデヤ人が「城壁の外からあなたがたを囲んでいる」ときから見て「とどまる」、と考えることもできると思います。

 

囲まれているときに、疫病がある場合、「この町にとどまる」なら、町の中で疫病で死ぬ、ということになります。

 

町の中に疫病があるために、町の外に出ると、カルデヤ人の剣が待っています。そうすると、剣で死ぬ、ということになります。

 

囲まれているときに、ききんがある場合、「この町にとどまる」なら、町の中でききんで死ぬ、ということになります。

 

おそらく、ですが、町の中に、ききんと疫病があるために、町の外に逃げて、カルデヤ人にくだるなら、「この町で、疫病や剣やききんからのがれて生き残った者たち」(21章7節)であっても、「生きる」のではないか、と思われます。

 

その4、に続きます。