hhhhhh210さんへ。

「LEさんへ その7」について。

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ただ、LEさんとの間でどうしてこのようなくい違いが生じたのか、最初は全くわかりませんでしたが、長いこと考えているうちに、くい違いの生じた原因がわかってきました。
今は、LEさんがどういう意味でおっしゃたかわかりました。
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とあります。ありがとうございます。

 

「くい違い」は、いずれ無くなるのではないか、と思います。例えば、『新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙4章11節から13節までに、次のように書かれています。
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11節
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
12節
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
13節
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
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13節に、「・・・私たちがみな、・・・神の御子に関する知識の一致とに達・・・するため・・・」とあります。いずれ、その知識の一致に達すると思われます。ですから、「くい違い」は無くなると思います。

 

「キリストのからだを建て上げ」、「キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」ために、「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」とあります。これは、「賜物」についてのことである、と言うことができると思います。同じ手紙の4章4節には、「からだは一つ、御霊(みたま)は一つです。・・・」とあります。

 

また、同章3節には、「御霊(みたま)の一致」という言葉があります。「信仰の一致」「神の御子に関する知識の一致」など、「キリストのからだ」が「一つ」に建て上げられるには、いろんな点で、「一致」が求められる、と考えます。

 

「約束」と「契約」の件、および、「“彼と”」の件については、さしあたり、保留にしたいと思います。