hhhhhh210さんへ。
「LEさんへ その8」について その1
ありがとうございます。
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前からの文章(26章1節から)の流れからすると、神はイサクに、エジプトには行かせずにこの地にとどまってもらいたかったことがわかります。
その理由として、カナンの地をあなたの子孫に与えることと、カナンの地をあなた(イサク)に与えていることがあります。
カナンの地をあなたの子孫に与えることと、カナンの地をあなたに与えていることを“あなたとあなたの子孫に与える”と表現したのではないかと思います。
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とあります。
5行目から、「カナンの地をあなた(イサク)に『与えている』こと」とあるのですが、『与えている』だと、「与える」という行為がすでに「完了している」、かのように理解されてしまいます。
ビブリア・ヘブライカ・シュツットガルテンシアでは、創世記26章3節の「これらの国々をすべてあなたとあなたの子孫に与える」の「与える」は、「未完了形」になっています。「ヴァヴ」がくっついていないので、「ヴァヴ継続法」または「ヴァヴ倒置法」にはなっていない、と言うことができます。
『聖書ヘブライ語 古代語研究会編 谷川政美監修』では、「未完了形」について、次のように説明されています。
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未完了は、将来起きることだけでなく、どの時間にあっても、継続している未完了の状態にある行為や状態を表わすために用いられる。
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「どの時間にあっても」というのは、「未来」にあっても、「現在」にあっても、「過去」にあっても、ということである、と言うことができると思います。
「未完了は、将来起きること」に用いられるだけでなく、「どの時間にあっても、継続している未完了の状態にある行為や状態を表わすために用いられる。」とあります。
つまり、「与える」という行為は、「将来起きること」を表わしている、ということ、及び、「未来」にあっても「現在」にあっても「過去」にあっても、「継続している『未完了の状態にある行為』・・・を表わ」している、ということになります。
言い換えると、「与える」という行為は、継続中で、『未完了の状態にある』、すなわち、まだ完了していない、ということになります。
「与える」という行為は、「まだ完了していない」、ということになると、「これらの国々」はまだ「与えられていない」、ということになります。
「カナンの地をあなた(イサク)に『与えている』こと」とあるのですが、『与えている』ではなく、あくまでも、『与える』(将来のこと)ということです。
いかがでしょうか。